【品川区のシニア起業家特集】 西大井創業支援センターに入居する株式会社ピーズガード沖原代表に、起業の面白さ や区の支援制度の活用状況を聞いてみた
株式会社ピーズガードは2009年に、噴霧できる安全かつ強力な除菌・消臭剤の製造・販売で創業。食品工場、医療機関や介護施設、ホテル・旅館でその実力を認められ、2020年10月には中堅製薬会社との事業提携で、ドラッグストア向け製品も販売を開始させています。また、加湿器製造ベンチャーと協力して、室内やデスク用の噴霧器も手がけるなど、世の中のニーズに合わせてビジネスを展開中。代表取締役の沖原正宜さんは、もともと品川区内で家業を営んでいたところ、66歳でこの製品に出会って創業されたとのこと。その背景や現在までの道のり、品川区で事業を行う良さなどを聞きました。
(プロフィール)
沖原正宜さん 株式会社ピーズガード 代表取締役
大学卒業後、家業の冷凍・空調設備会社である株式会社沖原工務所に入り、営業や事業企画に尽力。2009年、66歳で株式会社ピーズガードを創業。常に最前線でアイデアを考え、事業を拡大中。
強い除菌・消臭力と安全性、長期保存性が特長
―まず、御社の事業について教えてください。
沖原
社名と同じ「ピーズガード」という除菌・消臭剤を製造・販売しています。製品の特徴は「長期に品質安定性があり、強力な除菌・消臭性を持ち、人に安全で、環境に無害である」ことです。ピーズガード(P’s GUARD)という名称は、ウイルスや菌から大事な人を完全かつ強力に防ぐという思いで、完全に(Perfect)・強力に(Powerful)・防ぐ(Preventive)の3つのPから名づけました。従来の塩素系除菌・消臭剤の方式を打ち破るということで「塩素革命」と銘打っています。
―ドラッグストアなどでよく見かける除菌・消臭剤とは、違うのですか?
沖原
臭いをほかの香りで包み隠すのではなく、完全に分解しますので、ペットやたばこの臭いにもしっかりと働きかけます。アルコールの効かないウイルス対策にも使えるので、食品工場、病院や介護施設、旅館・ホテル、飲食店などで喜ばれています。従来こうした衛生管理には塩素系漂白剤が用いられてきましたが、強いアルカリ性です。いわゆる塩素臭があり、ステンレスを錆びさせたり、服に付けば漂白させ、手につくと皮膚を損ねてしまうものですね。そこで扱いやすくするために弱酸性に調整した次亜塩素酸水の製品も多く出回っていますが、成分が揮発しやすいなど、まだまだ使いにくさがありました。
―ピーズガードはそれらとも違うと。
沖原
製品のジャンルは弱アルカリ性次亜塩素酸水溶液に入ります。特殊な製法で弱アルカリ性にしてあり、次亜塩素酸水とほぼ同等の殺菌効果を持ちながら、ほぼ無味無臭でステンレスを錆びさせず、手荒れの心配もなく漂白もさせません。揮発もしないので、2~3年などの長期保存に適しています。さらに、食品添加物製造認可工場でつくるシリーズは、食材に直接かけたり、まな板や包丁、食品加工機器にも使えます。
製品としては、これらをスプレー容器で提供し、ストック用の大容量パックやカートンボックス入りのものなどを用意しています。
「面白いこと」を求め、リタイアした友人を誘って起業
―創業は2009年とのことですが、経緯を教えてください。
沖原
もともとは家業である冷凍・空調設備工事会社で、大学卒業以来ずっと働いてきました。その冷凍・空調では温度制御のほかに加湿が重要で、世界中から性能の良いノズルを探したりしていたのです。やがて噴霧するものとして、除菌・消臭剤を考えるようになりました。ですが既存のものは金属腐食や刺激臭が強い、体に良くないなど、噴霧できるようなものが見つかりません。そんなときに紹介されたのが、後にピーズガードとなるこの製品の開発者だったのです。
―すでに開発はされていたのですね。
沖原
そうなんです。これで噴霧できると思いましたが、当時はリーマンショック後で大規模な噴霧設備といった投資にはどこも及び腰です。そこで噴霧設備ではなく、中身の液体を提供しようと、創業を決めました。
当時私は66歳で、それまで家業一筋でした。しかし長年続けてきた設備の仕事も価格競争になっていて、技術やアイデアの出番もありません。ですから、新しいことがやりたかったんですね。起業家として再スタートなどと大それたことではなく、「これをネタに面白くやれることがあるのではないか」という遊び心でした。
―実際にはどのように始められたのですか。
沖原
古くからの友人に株主になってもらい、定年退職する頃なので、給料は少ないがと誘って、4人くらいでスタートさせました。ですが、本来最初にやるべきマーケティングを後回しにして、先に台湾に容器の買い付けに行ったり、商品名やロゴを考えるなど、まさに遊びのように始めてしまいました。結果的には、市場調査や顧客設定、販売方法などからやっていれば、商売としては難しいと、早々に辞めていたかもしれません。実際、創業から8年連続赤字決算です。
目下の課題は、技術の継承と強い組織への再構築
―それでも続けられたのは、なぜでしょうか。
沖原
売り方をいろいろ考えたり、ニーズのあるところへの提案などが面白く、また経験を生かせるからでしょうか。病院、介護施設やホテルなどで使ってもらうと安全性や効果を分かっていただけます。衛生対策としてトップダウンで導入が決まったりもしますが、現場からこれはいいという声が出て、納品が増えた例も少なくありません。除菌効果について実験結果をまとめるなど、力を入れていますが、意外と消臭に関して看護師や介護士の方に喜ばれています。
―4人で始まった会社は、今どのような体制になっていますか?
沖原
営業はパートナー企業に託し、全国の代理店網とアマゾンなどによるインターネット通販があります。製造は、食品添加物レベルのものは専門工場に委託し、雑貨向けは内製しています。現在は製造管理や受発注、出荷はもとより専門的な顧客対応についても若手社員が担い、創業時からの定年退職した熟練技術者が顧問として手伝っております。
今後は、そうした技術の継承と、営業部門の分社化などを進め、事業の継続性をより強化していきたいですね。
―新しい事業展開も始められていますね。
沖原
ベンチャーデザイン家電メーカーのcadoと提携して、「空間を洗う」をテーマに室内やデスク周りで使える噴霧器をつくりました。ウイルス対策が日常的になっていますので、ピーズガードをより生活に取り入れてもらえればと思います。また、風邪薬で有名な製薬メーカーの全薬工業と事業提携し、2020年10月からドラッグストア向け製品をピーズガードブランドで販売しています。そこで医薬部外品等の申請も見据えているので、認可されればさらに弾みがつくでしょう。そのほかにウエットティッシュ型製品も検討中で、未開封なら3年以上もつので、防災備品としても展開できそうです。
このようなことを考えて商品化を図るのが、面白くてしょうがないんですね。家業のほうは、一時廃業も考えましたが保守契約もあるので、3年前に事業譲渡しました。社名はそのままで、顧問として古くからのお客様とのつなぎ役は務めています。そちらとは別に、ピーズガードのほうは事業自体を楽しんでいるんです。
西大井駅前の創業支援施設や各種助成金など、区の制度をフル活用
―品川区との関わりについて、お聞かせください。
沖原
小2で西大井に越して以来、品川区立の伊藤小学校、富士見台中学校と、品川育ちです。家業の沖原工務所もずっと西大井で、ピーズガードを創業したときも近隣の建物を借りました。ところがそこをマンションに建て替えるというので、品川区の西大井創業支援センターのオフィス・スペースに入居したのです。50平米くらいが手頃な賃料で、西大井駅改札目の前のタワーマンションの2階と分かりやすく便利です。ここで来客対応をし、代理店向けに20~30人の講習を行う際には会議室も借りられます。
また、品川区は助成金制度が充実しているので、いろいろと活用しています。他の自治体で事業を行っている知人からは、よく羨ましがられますね。
―使われてきたのは、どのような助成金ですか。
沖原
塩素系の第一人者がいる大学との共同研究で「産学連携開発支援助成」を利用しています。また、展示会への出展経費の助成や、応用製品の特許出願時にも助成金を活用しました。営業活動でパンフレットを作成するときの補助もありましたね。
そのほかに大きかったのが、融資あっ旋です。運転資金や設備資金の借り入れを低利で、千万単位でできました。
―これから起業する方へのアドバイスをお願いします。
沖原
ものづくりの起業では、資金の確保がカギになります。3年など決めて始めても、ものになるまではそれ以上かかったりするもの。そこを考えて、テーマは選ぶべきですね。私も起業してから人に聞いたのですが、創業期には「死の谷」というものがあります。いよいよ事業が上昇カーブを迎える手前直前には製造・販売した商品を売り上げるための資金が足りず、そこを乗り越えられない企業が多いということ。逆に、そこを越えられれば、事業化が果たせるわけですね。
あとは、販売につながる仕掛けを怠らないことでしょう。私はプライベートの旅行の際も、旅館やホテルで女性従業員や支配人などに必ず名刺を渡して挨拶させてもらいます。それを機に製品を知ってもらえ、導入に至ることもあるのです。時の運ですが、仕掛けなければ何も起こりません。
―本業をリタイアしてからの起業も、増えてほしいですね。
沖原
大学の同期で、日本を代表するメーカーの幹部までいった人の言葉ですが、技術者が良いアイデアを持っていても会社が予算をつけなくて日の目を見られなかった技術が山ほどあるというのです。ですから、退職するエンジニアに声をかけ、皆で協力してアイデアを世に出していこうと、取りまとめることもやっています。ピーズガード創業の体験談は、そうした場でも興味や関心を引きますね。
遊び心で始めた、といいましたが、これが若いときだったら3~4年であきらめて廃業していたでしょう。ですが66歳での創業なので、すでに70歳。辞めてしまえば、次の遊びは見つかりません。持ち出しが続き、回収はできないかもしれないが、一方で「贅沢な遊びをさせてもらっている」という意識がありました。実際、使う人からは画期的だと喜ばれたりするわけです。これが、自分でやる喜びですね。「人の喜びを我が喜びとする」を座右の銘としております。
執筆者
取材ライター
久保田 かおる
インタビューはリラックスムードで楽しく。原稿では、難しいことも分かりやすく伝えるのがモットーです。